コーヒー栽培の歴史
今ではあらゆるところで味わうことができ、その奥深さから多くの人を魅了するコーヒー。
その原料となる作物は、「盗み」や「騙し」といったあらゆる秘密に包まれた物語を経て、アフリカや中南米、アジアにまで栽培を広げていったというドラマチックな歴史があります。
今回は、この興味深きコーヒー栽培の歴史の世界を紹介したいと思います。
【目次】
コーヒーの起源
人類が、コーヒーの原料を生み出す植物「コーヒーノキ」といつ出会ったのか?
この謎は未だに明らかになっていません。
人類がコーヒーを飲み始めたのは15世紀ごろですが、コーヒーノキと人類の出会いがいつであったかを明言する文献や証拠はなく、わかりません。
しかしながら人類とコーヒーとの出会いには有名な伝承が二つあります。
まずはその二つを紹介していきましょう!
ヤギ飼いのカルディ伝説
二つの中でも特に有名なのは「ヤギ飼いのカルディ伝説」です。
某有名、コーヒー&輸入食品会社の社名はここからきています。
内容はこんなもの…
ヤギ飼いのカルディという少年が、自分のヤギを山に連れて行ったとき、ヤギが茂みにある赤い木の実を食べ興奮し騒いでいるのを見て、自分も食べてみたところ疲れが吹っ飛び元気になった。
それをたまたま目撃した修道僧がその効果に目をつけその後人々に広めていった。
という話です。
修道僧の登場の仕方は「たまたま通りかかった」、「噂を聞きつけてきた」などさまざまあり、どれもどこかふんわりしてます。
シェーク・オマールの伝説
カルディの話よりは知られていないかもしれませんが、こちらもコーヒー発見にまつわるお話です。
無実の罪で街を追放されたシェーク・オマールという修行者が山の中をさまよっていた時、空腹に耐えきれず、木になっていた赤い木の実を食べてみたところ疲労が回復した。
この話には、「その後、彼は、実を使ったスープで人々を病から救った」や「小鳥が彼をコーヒーノキまで導いた」などさまざまなバージョンがあり、これもまた民間伝承が故の曖昧さがあります。
これら二つは、コーヒー発見伝説として有名なものですが、やはりあくまで伝説であって、信憑性に欠けるところがあるのが事実です。しかし…
山の中で発見した
赤い木の実
興奮作用や疲労回復の効果があった
という三点はコーヒーに通じるものがあり、全くのフィクションだとは言い切れないのが面白いところです。
騙し騙され、盗み盗まれ、コーヒーの伝播
コーヒーは、15世紀ごろから、イスラム教徒の一部の者たちスーフィーが儀式の際に飲んでいたことをきっかけに注目され、広く知られるようになりました。
その人気に目を付けたオスマン帝国が、イエメンで栽培を行ったのが本格的なコーヒー栽培の始まりです。
コーヒーは最初、門外不出の作物として発芽できる状態での持ち出しを禁止していましたが、次第に他国でも栽培が行われるようになりました。
では、門外不出の作物が一体どうやって世界へ広まっていったのか?…その答えは「盗み出し」でした。
さまざまな方法でコーヒーノキの種や苗木が盗み出され、コーヒー栽培が世界に広まっていきました。
ここでは、コーヒーが現在のように広い地域で栽培される、きっかけを作り出した4人の物語を見てみましょう!
巡礼中にちょっと道草、ババ・ブダン
ババ・ブダンはインドにコーヒーを持ち込んだ人物で、イスラームの聖者でした。
彼は巡礼の旅の途中で、コーヒー輸出の玄関であったモカで密かにコーヒーの種を入手します。
この種を自分のおなかにひもで括り付け、見事持ち出すことに成功!
インドに持ち帰り栽培に成功しますが、残念ながらさび病と言う病気によりその木も全滅してしまいました…。
人を惑わし手に入れる、ガブリエル・ド・クリュー
ガブリエル・ド・クリューはフランスの海軍将校でした。
彼は、とてもずる賢く抜け目ない人物でした。彼は若い貴婦人に、王室付きのお医者さんを誘惑、籠絡させ、そのルートを使い、密かにコーヒーの苗木を入手することに成功します。
ド・クリューはこの苗木をカリブ海の小島「マルティニーク島」に植え、大きく育ったそのコーヒーノキが中南米産コーヒーの始まりの一つであったといわれています。
前科者、ムールジュ
三人目はなんと前科者。18世紀初め、ムールジュは仏領ギアナにて罪を犯しスリナム(オランダ領ギアナ)に逃げていた人物でした。そのころコーヒー生産を行いたかった仏領ギアナは、すでにコーヒーが渡っていた隣国のスリナムからコーヒーを得ようとするもなかなか渡してもらえず困っていました。
その状況に目を付けたムールジュは「恩赦と引き換えにスリナムのコーヒーノキを盗み出す」と交換条件を提示し、見事コーヒーノキを盗み出し、念願の仏領ギアナでのコーヒー栽培を可能にしたのです。
盗み出しは情熱的に、フランシスコ・デ・メロ・パリェタ
彼は現在のコーヒー大国ブラジルにコーヒーを持ち込んだとされる人物で、その方法は情熱にあふれたものでした。
衝突し合う仏領ギアナとスリナムの会談の場に仲裁として送られてきたメロ・パリェタでしたが彼には「コーヒーノキを持ち帰る」という秘密の任務がありました。
そこで彼はフランス領事夫人を誘惑、親しい関係に。彼の任務を知らされた夫人は、別れの際にコーヒーノキの若木を忍ばせた花束を彼に手渡します。
その若木が、ブラジルがコーヒー大国となった始まりだったのです。
一見すれば彼らが関わった「コーヒーの広がり」は、騙しや盗みといった犯罪行為とも言えます。そこまでしなくてはいけなかったのかと思われるかもしれませんが、世界中で愛され今なお進化し続けるコーヒーの現状を見れば、彼らの行為は決して無駄ではなかったと言えるのではないでしょうか。
ここまで見てきた歴史はコーヒー“栽培”の伝播ですが、コーヒーの“飲用”に関する歴史もまた、とても面白いです!
詳しい話はまた今度…お楽しみに!